The Fragile #3 | La Mer : 19991129
「私の耳は貝の殻/海の響きをなつかしむ」
…という堀口大学の翻訳したコクトーの詩を知っているだろうか。
デヴィッド・カーソンの出した最新刊『Photografiks(photografikとはカーソンが作ったphotoとgraphicの合成語)』には、今回The Fragileで使用されているカーソン自身が撮影した写真のほとんどが収録されているので、手にした人も多いだろう。確かにそこには、写真の中に映し出されたこの世に存在する様々な色の塊や、物質を構成する原子を思わせるような粒子感、その写真たちと文字との美しい絡みあいがあり、表現することのシンプルさとシンプルだからこそ出し得る自由な雰囲気が充満している。
ちょっとだけ普段と視点を変えると言う、ほんの小さな出来心から生まれた偶然の芸術。実は見なれた世の中にはこんなものもあるんだよ、と手のひらに乗せて目の前にぷいっと出されたような感じ。これはトレントの作る音楽にも共通する部分だ。その「視点を変える」こと、心のままに感じ入ったものを自分の内に永遠につなぎ止めておけることこそ才能の一部ではあるのだが。
特に掲載写真の持っている自然なアウトフォーカスのエッジは素晴らしい。ちょっと画像編集をやった人ならおわかりだろうが、ソフト、つまりコンピュータに頼ってはあの自然なエッジはなかなか出し得ない。どうしてもいかにも『ぼかしてアウトフォーカスっぽくしてみました』と言うわざとらしさ、言ってみれば『機械のにおい』が残ってしまう。
実際に撮影したものとレンズとの距離や微妙な焦点のずれ、そして光の量が生み出す一瞬の美しいグラデーション。同じものは二つと存在しないだろう。写真はまさに一瞬の芸術なのだ、と言う思いを噛みしめてしまう。
その中でも最もThe Fragileと言う存在へのデザイン的なアプローチが強く出ているのが、後半の終わり、もうほとんどおしまいのころに出て来る「貝殻をうんと近くで撮影した写真」ではないかと思う。
The Fragileのカバーにも使われたこの写真については、今まで色々に「写っているモノ」を想像して来たのだが、貝の写真だとは思わなかった。もちろんそうやって「色々に想像されるであろうこと」を望んでトリミングされて使われているのだろうが、あの暖かみのある色は、貝殻、つまり「生きていないもの」とは言えやはり「生き物」の一部の写真だったのだ。
しばし見入っていたのだが、右ページの写真のまん中に小さなキャプションがあることに気が付いた。そこには小さな、気付くか気付かないかの文字で「listen」とあった。
それを見た瞬間に背筋がざわめくほど何かを感じたが、次の瞬間に思い出したのは冒頭のコクトーの詩だった。そしてゆっくりと頭に浮上して来る、ちりばめられた事実。このアルバムには海と水を感じさせる表現が何と多いことだろうか。
曲そのものが「La Mer(御存じだろうがフランス語で『海』)」と名乗っているものもあるし、この曲に繋がる次の曲「The Great Below」でも前曲の海のイメージをそのまま引き継いだ歌詞が展開する。そして、トレントに正式に依頼され、ライヴ・ショウで使用するためにカーソンが制作したと言うこの2曲のイメージ映像は、波と海中のイメージを主としているそうだ。
「母なる海」と言う言葉もあるように、生物は海から生まれたと言われて久しいが、だとしたら人間はみんな体の内に根源としての海を持っていることになる。それは血の流れと言う「水の流れ」の存在でもあろうし、体内に抱く「塩」の存在でもあるだろう。
幼いころに貝殻やコップ、手などで耳を塞いで「海の音がする」と言った遊びをしたことはないだろうか。それは本当は何の音を聞いているのだろう。閉ざされた空間で変化した周囲の音や風の音なのかも知れないし、体内の音なのかも知れない。
この詩で「貝の殻」が「なつかしむ」のは、表現的に見れば海と貝との間の様々な思い出なのだろうし、主人公が誰かをなつかしんでいるようにも受け取れる。しかし、それが「体内に存在するであろう『海』の音」なのだとしたら。それは人間の一番深いところで誰もに共通に存在する、「根源にある郷愁」を意味しているのかも知れない。意識していない「無意識の共通」とでも言うのか。
自分の中に何があるかを探って発見して行くこと、を手法の一つとして作られたこのアルバムにも、そう言った私達の間の言葉や思想を超えた「無意識の共通」が潜んでいるのかも知れない。誰もが経験したことのある喜怒哀楽や感情、人を愛する気持ちや自己嫌悪、そして挫折まで。各人が体験した様々な状況を取り除いた「感覚」の部分。その「無意識の共通」こそ、数多くの人がこの作品に触れたことによって呼び起こされた自らの記憶や感情を触媒にして、彼の世界にシンクロしてしまう原因のように思う。
根源的であるゆえに普段は見過ごしがちなものを改めて気付かせてくれる。その他人とのほんの小さな絆とも言える共通点が、彼を支えるもののひとつであるかも知れない。
そして、音楽と言う永遠でありながら一瞬のものでもあるこの作品には、たとえ人間と言う存在がなくなっても海の音は鳴り続ける…そんな悠久の時を超越する「永遠」と言うものもまた、潜んでいるのではないだろうか。










































