The Perfect Drug

The Fragile #5 | The Way Out Is Through : 20000814

 

「NINのショウは昔にくらべてバイオレントじゃない」なんて文句を見ると、
ダークじゃないから、バイオレントじゃないから面白くないのであればさっさと離れて行けばいいのに、と思う。

世の中には、探せばいくらももっとダークな世界を歌い続ける人がいるだろう。それか「昔はよかった」とそこにとどまればいい。それもまた愛し方のひとつだ。 流れて変化して行くのも生き方なら、ずっととどまって同じ世界にいるのもまた生き方のひとつなのだから。どちらも正解だし、間違っていない。どれを選ぶかが問題なだけなのだ。

トレントは前者を選び取って、変化することを決めたようだから、いつまでも過去と同じでいるとは限らない。だから今回のツアーで以前と同じステージアクトをしないのは当然なのだ。 音に関しても、以前の重かった音に対して、現在のツアーのものはとても解放されている。昔の歌通りの歌詞を歌っていても、「昔はそうだったんだけど」と言いたげに聞こえる。それはそこにネガティブなオーラが明らかに存在しないからだ。

確かに彼は昔のステージで自分のうちのネガティブなものを吐き出し、自らも含むステージの上のあらゆるモノを傷つけてオーディエンスをあおり、同調させて一体化する、と言うようなプロセスを行っていたように見える。それはステージの上と下でコミュニケーションし、お互いを触媒としてカタルシスを得る作業であったように思う。お互いに相手を必要としている、と言う一時の安息を得るために。今見ると昔のステージは、トレントの振る舞いがとても刹那的で、会場にも重苦しい雰囲気とはうらはらの儚さのようなものが常にただよっていた。

彼が現在のツアーのステージで歌う時、そこには澄んだオーラが発散されているのを感じる。そのオーラは作り物と言う感じがしない、まるで空気のようだ。
そのなかに立つ彼は、自分のうちの何かを吐き出していたのではなく、自分のうちが「生んだもの」、自然ななりゆきで出て来た何かを手のひらに乗せて見せてくれているかのようだった。 それは「人生」と言う名の、まさしく彼だけが得た、彼だけのものだ。他の誰にも、同じものを得ることもつくることもできない。

そしてオーディエンスは会場に存在し、彼とのコミュニケーションに参加することで、「彼の人生」と言うものを目撃する。
いとも簡単そうに手のひらにのせられた「それ」の価値がわかるだろうか。こんな風に人前に人生を見せるなんて、彼は本当にこの作業、曲を作って歌い、自分の世界を構築して伝えることに命をかけているのだ。だから、今のステージを見ると彼のキモチの中に飛び込んだような感じがする。1時間半あまりの完成された世界にたずさわる時、私は彼に愛されている、と思う。彼は私を含むこのヴェニューと言う大きな世界を愛しているんだな、と。

個と個の間には完全な理解も完全な融合もあり得ないから、人は相手に自分を伝えようとコミュニケーションする。トレントは音楽を通じてそれを実践しているのではないか、と私は思う。
誰かが聴き手として彼の前に立ち向かった時、彼は自分のコミュニケーションの道具であるものの聴き手であるその人を、きっと愛している。何かを伝えようとしている。

でも、もし、その聴き手が、彼の言う言葉、つまり彼の音楽に何かを感じたり興味を持てなかったとしたら、遅かれ早かれ彼の前から立ち去るに違いない。逆に、とにかく立ち止まらざるを得ないくらいにとりつかれてしまう人だっているだろう。 音楽と言うのはそのような、相手とのコミュニケーション、何かを伝えると言うことを可能にするものでもあると思う。

ステージの上での彼は、姿が見える分よりいっそうに、自分が構築した世界に対する愛情を私に伝えようとしているように見える。だから、私も大声で私のキモチを投げ返す。私だってあなたのことも、あなたのこの世界も愛しているよ、私もまた、あの場で、彼に対して一生懸命にコミュニケーションしているのだろう。自分勝手に気持ちを送っているだけなのに、何故か私はいつも彼に受け入れられているような気持ちになる。

一体、どうやって、この人はこんな場を提供できるようになるまで自分自身と対峙して来たのだろう。いったん、とことん何かを憎み続けて、もうこれ以上は憎めないと言うところまで憎んでしまったからだろうか。彼の現在の姿からは「憎しみ」のようなネガティブなイメージを全く感じないので、今は憎んでいないのだろうと思うし、その「何か」の正体は私が知るよしもない。「そんなこともあったよね」と言う過去形での表現を感じる。今の彼からはそんな感じの、ただ単に表面的に美しいだけではない、暗さを飲み込んでしまったような深さを感じるのだ。それはまさに外海のような感じだ。優雅な波の下に、とてつもない圧力と深さが待ち受けているような、そんな感じ。

彼は、憎しみを煮詰めてこだわるよりも、憎しみを飲み下して支配する方法を選んで、現在に至っているような気がする。誰にも、彼が彼の幸福を追い求めることを止めることはできないし、止めるのは間違っている。彼に昔のようになって欲しいと思うのなら、その人がそこにとどまって過去の彼とすごせばいい。人生は一方通行の道だから、進むかどとまるかしかない。

彼にもっと不幸になってもらって、昔よりももっとすごい憎悪をたぎらせて煮詰めた、憎悪のつくだ煮のような歌をうたって欲しいと言うのは間違いではないか、と私は思う。私はそれを聞く度に、それを言う人自身がその人なりの不幸な身分になって、その人にとっての不幸の味をとことん楽しめばいい、と思うのだ。その人の人生はその人だけのものだから、他の道連れはあり得ない。誰もその人自身ではありえない。だからこそ、誰もその人の人生の身替わりにはなれない。

彼を道連れには、できない。きっと誰にも。
彼はそこをもう通り過ぎてしまったのだから。「The Way Out Is Through」なのだ。